Preparing for coming performance, Revisionberichte by new generations of ABr studies are very useful to know, how primary sources survive. pic.twitter.com/ezznDnuK1K
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 1, 2017
ABr3、3種類の稿態の理解さえ難しく、なかなか決断出来なかった。Roederの校訂報告の見事な分類により漸く整理がつき、この度シティフィルと演奏に取り掛かることができる。結論は1877年稿、初版に基づくOeser版と同じになる予定。 pic.twitter.com/vtLrM8yEeE
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
Roederの校訂報告を自筆原稿と読み比べていくと、73年稿から77年稿への改訂の道筋が良くわかる。ABrは73年稿の上に直接改訂(主に短縮)を進め、楽想や構成が変わった部分は従来の73年稿をそこだけ取り外し、新たに作曲した五線紙を代わりに挿入している。 pic.twitter.com/P1tM15M3HE
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
特に第1、第4楽章には大規模な改訂が行われたが、73→77年稿への改訂は構成のスリム化、フレージングの簡素化など改善された点は多いと。改訂により73年稿だけが持つみずみずしさは少し失わたとも感じられるが、全体の構成は間違いなく緊密になり、バランスの取れたものになっている。 pic.twitter.com/gkBszNGPbo
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
73年以降の4年間に、ABrは第4交響曲(74年稿)を完成、第5交響曲もほぼ書き終えており、この間に作曲技法が格段に発展。77年稿への改訂は必然であった。なお現在手に入るNowak編集版は自筆原稿の提示に拘り、初版(1879)のためにABrが筆写譜に直接行った改訂を含まない。 pic.twitter.com/y2HtgYknPd
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
77年の改訂では、Scherzoを反復した際にCodaを付け加えた。Nowak編集版はこれを含むが、このCodaは初版を出版するにあたって結果的に削除された。したがって、これも今回は作曲家の意思を尊重し演奏しない。
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
88/89年の改訂について。ABrは新たに書き直すことはせずに、79年初版のスコアに直接改訂を加えている。その改訂は非常に広範囲にわたるが、第1~第3楽章では、旋律線やMotiv、和声進行の細かい変更に終始している感がある。ところが第4楽章に至り状況は一変する。 pic.twitter.com/Tm0N1w478S
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
第4楽章では、驚くべきことにFranz Schalkが書き下ろした原稿の上にABrが改訂を行っている。Sch稿は「改ざん稿」であり、構成の大幅な切断と短縮、管弦楽法の変更などを独断で行っている。ABrの改訂は事実は伝わるが、私はこれが作曲家の最終意思とはどうしても納得できない。 pic.twitter.com/gxz9iPwcaL
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
Schalkたちの干渉がどの程度であったのか。様々な意見があるが、私は干渉は相当にきついものであったと考える。第8交響曲最終楽章の90年稿への改訂についても第3交響曲とほぼ同じ状況だったことが想像される。Schalkたちの干渉の実態についても、今後詳しく研究されることを期待する。
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 9, 2017
Reading and comparing with manuscript by composer. Sometimes we find some good answers toward discrepancies remained in printed scores. pic.twitter.com/ZbgaVBGoEJ
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 15, 2017
Bruckner作品、楽譜の選択の問題。Ha/No論争はすでに過去のこと。特にこれまで評価しづらかった第3、第8交響曲も、新しい世代の研究により残された資料の状態が正しく整理分類され、理解しやすくなったことは有り難い。演奏側は校訂報告を読んでどの稿を選択するか考えることになる。
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 16, 2017
私はABr自身の創意を基にした改訂については必然と考え、それを最善としたい。第3交響曲ではRoederの校訂報告がとても分かりやすく、準拠して1877年初演時、その後の出版への改訂を含んだ形で演奏した。89年稿については残念ながら作曲者の真意による改訂とは評価できなかった。
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 17, 2017
第5交響曲Noによる校訂報告(1985)はHaの報告を最初に掲げ、その後にNoが注釈をつける形をとっている。NoはHaが参照しなかった(NoはHaがその存在を知らなかったとしている!)筆写譜にABrが鉛筆で書き込んだ事柄を全面的に採用している。 pic.twitter.com/DJra00ENq6
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 17, 2017
筆写譜へのABr自身の鉛筆での記入は少なく、しかもほとんどがTempoを落とす指定であり、作品の内容に迫る変更はない。わずかに第2楽章の最後の3小節に音程の変更があり、No第2版とCohrs編集版(2005)に小さな音符で書き込まれている。 pic.twitter.com/6cm8m5ExZz
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 19, 2017
筆写譜への記入は、ABr3-1877年稿のように演奏を視野に入れた入れたではなく具体性に乏しいと思われる。なお例として、第1楽章冒頭7~8小節目、Vl.Iの第2声部が削り取られた変更についてはNo, Cohrs共に言及していない(または気がついていない)。 pic.twitter.com/SbiW7qMgGE
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 19, 2017
ABr5, No校訂報告は全体で90ページ、Haの報告の転載を除けば40ページに満たないもので、第3交響曲のRöder報告(約450ページ)に比べれば内容も十分ではない。自筆原稿および筆写譜は現在国立図書館HPで閲覧することができるので、折に触れて参照しながら準備を進めている。 pic.twitter.com/lTPuqpEkNT
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 19, 2017
前述のようにABr5筆写譜への鉛筆記入は時期も目的も明確でなく、Br以外の筆跡も含まれ、後の演奏を視野に入れたものではないと私は考え、明日の演奏では採用しない。ABr作品の中でも特にスタイリッシュな第5交響曲の作風を活かすためにも、枠組みを崩しかねないTempoの変更は慎みたい。
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 19, 2017
続けてABrを指揮する機会をいただき、音楽家としての幸せを実感している。予想通り、最も難しいことは、スコアが指示する声部の確実な分離の実現と、Tempoの適切な設定だと思う。私は時代がかった「重厚」「鈍重」「晦渋」ABrに相応しくないと考える。今後もより良い表現を探っていきたい。
— 高関 健 (@KenTakaseki) May 22, 2017
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